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国際歴史探偵の書斎から(神田神保町タウン誌『本の街』誌提携)
1 竹久夢二の2枚の「ベルリンの公園」
2 松本清張『球形の荒野』のモデルは崎村茂樹か?
3 福本和夫とゾルゲのドイツでの一期一会
4 宮本百合子「こわれた鏡」と「日本のソルジェニツィン」勝野金政
5 九段坂野々宮アパートの1937年末ーー岡田嘉子とアイノ・クーシネン
6. パスタの『壁の穴』から覗くCIAから日本文学まで
7 占領期時局雑誌の興亡ーー『真相』対『政界ジープ』
8 トロツキーと佐野碩のメキシコ
9 占領軍に検閲された「世界のトヨタ」の社内報
10 久米宏が戦後50年に発掘した可児和夫
11 岸恵子とガガーリンによるゾルゲの復権
12 インドと中国を結んだスメドレー夫妻?
13 台湾で生まれた「大正生れ」の歌
14 ジョー小出と鬼頭銀一のデンバー大学

「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にし て起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」(丸山眞男 )、■加藤「『国際歴史探偵』の20年」、 ■「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影」, ■「戦前の防疫政策・優生思想と現代」 、■「 コミンテルンの伝統と遺産」、 ■30年前の「日本共産党への手紙」、 ■「岸惠子主演『真珠湾前夜』が可能にした学術的ゾルゲ事件研究」、 ■「ゾルゲ事件についての最新の研究状況」(映像編)(論文編)

情報の海におぼれず、情報の森から離れず、批判的知性のネットワ ークを!

2026年11月 月例時評
“Kenji Comes Home” の謎解きは、「長崎の鐘」と比較して、11月7日のOS研報告で!

● 11月7日(土)14−18時、東京茗荷谷の拓殖大学国際教育会館別館(元東方文化学院・戦時外務省研修所)F301室での第13回尾﨑=ゾルゲ研究会(OS研)で、私は「AI時代の尾﨑=ゾルゲ研究」を報告し、創立以来続けてきた研究会「代表」の退任講演とします。トランプの年齢に近づき、トランプのようにはならないようにするために、コロナ禍での入院・手術後の健康状態を何とか維持し、リハビリ・療養に専念するためです。現在共同代表の名越健郎教授・鈴木規夫事務局長以下の若い世代に、OS研の活動を引き継いでもらい、私はオンライン中心の一会員になります。

● その報告で、10月更新での「尋ね人」、「1949年の米国映画”Kenji Comes Home” に出てくる日本人についての情報を探しています」の中間報告を行い、同時に、AIを駆使して解る範囲での「謎解き」も発表します。どうやら、AIへの「質問Question」さえうまく作れば、第二次世界大戦後の世界の高等教育と人文社会科学再編の秘密までが見えてきそうです。ノーベル経済学賞ダロン・アセモグルの指摘に従えば、AI使用で人間に求められるのは、「正しい問い」のようです。
● 10月更新で「尋ね人」としたのは、1949年米国作“Kenji Comes Home”と題するドキュメンタリー風白黒映画(日本語なら「ケンジ、故郷に帰る」でしょうか)の主人公のKenji とAki 以下、ほとんどの出演者が日本人であるにもかかわらず、その本名がわからないためでした。それと共に不思議なのは、この映画が1950年の第22回アカデミー賞にノミネートされた米国映画ではああっても、舞台は全編日本の広島なのに、日本語では、全く報道や資料が見当たらなかったことです。英語やドイツ語ではwikipediaなどある程度資料があるのに、なぜなのかが謎でした。



● そこで、公開捜査とAIの活用に踏み切りました。 「ケンジ、故郷に帰る」の出演者捜しのよびかけから約30日、何人かの新聞記者、映画評論家、AI好きの若者が捜索に挑戦してくれましたが、結局日本人の関わりでわかったのは、スタッフとして英語で表記された撮影担当の伊佐山三郎と鹿島正雄の名と、彼らが田坂具隆監督「土と兵隊」(1939)の関係者であることだけでした。Kenjiや Akiは素人らしく、本名かどうかも、皆目わかりません。AIも、この点はお手上げでした。
● ただし、AIによる英語資料の分析から、この映画の成り立ちについては、かなりのことがわかりました。最も詳しく報じていたのは、シカゴの日系人社会向け英文グラビア雑誌 SCENE の1950年2月号でした。そこでは、この映画の性格が” Red–Christianity Struggle in Japan “(日本におけるアカ=共産主義とキリスト教精神の闘い)と明示され、アメリカ国内で、プロテスタント教会に集う人々が、日本に本当の基督教大学、 International Christian University(国際基督教大学、ICU)を作る募金運動のために作られ、上映されたことがわかりました。



● このことから、1949年に創立され、1953年に東京三鷹市中島飛行場跡に開学したICUが、この映画の先に見えてきました。日本で初のリベラルアーツ大学で、現在も英語教育・グローバル人材育成で知られ、教職員は原則としてキリスト教徒であることが求められるICUの設立に、米国側の宗教運動が深く関わることがわかりました。1950年4月14日付の Medford Mail Tribune には「この映画の上映は、日本に国際キリスト教大学を設立するための地域ぐるみの運動の一環だった」と明記されています。
● もっとも設立理念と、実際の大学・教員・学生の歩みは別です。私の知るある第一期卒業生は、大きな新聞社の沖縄特派員になり、占領を続ける米軍支配を告発し、復帰運動を本土に伝える最先端にいました。憲法の奥平康弘教授など、非教徒の教員もいましたし、卒業生が述べている通り、68年前後の学生運動の嵐は、ICUにも広がりました。全共闘も大衆団交もあり、大学側の要請による機動隊導入で、逮捕者も出ました。
● 興味深いことに、シカゴの英文雑誌 SCENE のこの記事は、「原爆から4年」というヒロシマ原爆投下のその後を報じる記事と、ワンセットで掲載されています。映画 ”Kenji Comes Home”のヒロシマは、原子雲や放射能被害が出てくるわけではありませんが、焼き尽くされた市街と、瓦礫のそばのバラックの住居を映して、「原爆による米国の勝利と日本の悲惨」を物語るに十分でした。「原爆から4年」の記事の方は、東京大学の原子力研究者嵯峨野遼吉博士(長岡半太郎5男)が念願の米国再留学を果たして、戦前から知り合いだった核物理学者と「原子力の平和利用」のために交流する話でした。「原爆の威力」を背景に、キリスト教を共産主義に対抗して布教する狙いが浮き彫りになります。



● ただし、この頃日本の大学で吹き荒れ「赤色教授の追放」を露骨に訴えたGHQ/CIE顧問イールズの反共演説行脚とは異なり、映画 “Kenji Comes Home”は、戦後の荒廃と困窮のもとで共産主義にひかれ労働運動に加わる若者がいることを素直に認め、それに信仰で対抗しようというものでした。製作した Protestant Film Commission は、アメリカやカナダの教会向けに映画を多く供給していました。
● したがって、AIによると、「”Kenji Comes Home”には、キリスト教宣伝布教、民主主義教育、 反共教育という三つの要素が重なっています。当時のアメリカの対日心理戦の一環です」。これが、Cold War University 戦略、近代化論と地域研究を組み合わせた戦後アメリカ人文社会科学の影響力という、より大きな問題の一環であることは、11月7日のOS研報告でお話しします。
● ただし、「日本語では全く報道や資料が見当たらなかった」問題については、AIは答えてくれません。ここからは「問いの出し方」の勝負です。私の推論では、この映画は、宗教映画・教育映画であると共に、当時の日本で見られれば「原爆映画」にもなり得たのではないでしょうか。なぜならば、1949年の日本はまだGHQの占領下にあり、原爆についての報道は、G2(参謀二部)傘下のCCD(民間検閲部隊)によって、厳しく検閲されていました。ヒロシマ・ナガサキの復興や「平和都市」建設、「原子力の平和利用」は許されていましたが、原子爆弾による被害、特に残存放射能による被害や火傷のケロイド跡など悲惨な「原子病」の報道は許されていませんでした。”Kenji Comes Home “は、米国内での上映ですから問題ありませんでしたが、日本には上陸できなかったのではないでしょうか。



● この「原爆映画」の観点からすると、比較可能なのは、日本で初めての原爆映画とされる(1950年9月ですから “Kenji Comes Home” のちょうど1年後の)「長崎の鐘」です。藤山一郎の歌う主題歌によっても知られるこの映画は、長崎医科大学助教授であった永井隆の原作の、大庭秀雄監督による映画化で、若原雅夫・月丘夢路・津島恵子・滝沢修らが出演しました。しかし永井博士の原作は、GHQ・G2ウィロビー将軍の検閲で、日本軍によるマニラ大虐殺の記録と一緒でなければ出版が許されず、映画では、原爆や被爆状況を正面から取り上げることができませんでした。映画は、永井隆博士の生涯を描いた作品として製作されました。
● 日本で原爆の実相が初めて本格的に報道されたのは、サンフランシスコ講和条約による独立後、1952年8月6日の『アサヒグラフ』原爆特集とされますから、 ”Kenji Comes Home” は、その3年前に問題の所在に迫っていたともいえます。いずれにせよ、この米国映画も日本映画「長崎の鐘」も、日本の新制大学の出発やICUの創立にも、当時の東西冷戦、中国革命、ソ連核実験、東西ドイツ分裂国家、朝鮮戦争、逆コース、レッドパージといった時代の影が、深く刻印されていました。トランプのアメリカが異教徒・外国人を排斥し、日本でも首相がG7を欠席して排外主義的な風潮が強まっているもとでは、”Kenji Comes Home” も、ICUの民主主義教育も、宗教映画制作者・大学創設者の意図を超えて、今日的には戦争の悲惨を警告するものともなりうるのです。
● 「本の街」連載「国際歴史探偵の書斎から」の12月号は、本トップ「尋ね人」に合わせて、第14回「ジョー小出と鬼頭銀一のデンバー大学」です。 ”Kenji Comes Home”は、もともと2004年8月のデンバー大学調査でみつけたもので、その顛末です。「本の街」12月号発売が11月7日の研究会に間に合うかどうかは微妙ですが、第13回OS研には、原稿ないしゲラ刷りでお持ちしますので、以下から参加をお勧めします
お申込 https://forms.gle/92FoV9sJ2PvSAoWn8


ネチズンカレッジ2025年10月新規開講コース案内


2025年9月の新規開講に当たって、30年近い「ネチズンカレッジ」の伝統と実績を引き継ぎながら、SNS時代にマッチした新たなコースを構成していきます。
情報学中心のカリキュラム再編成
国際歴史探偵の書斎から(神保町「新・本の街」誌提携)
Global Netizen College (in English)
「ネチズンカレッジ」の30年(過去ログ)


Since Aug.15,1997で、2020年1月、2025年9月に大幅改訂しました。開設以来の、ちょっと嬉しく恥ずかしい話。WWW上の学術サイトを紹介するメール マガジン“Academic Resource Guide”第3号「Guide & Review」で、本HPが学術研究に有用な「定番」サイトに選ばれました。ありがたく また光栄なことで、今後も「定番」の名に恥じないよう、充実・更新に励みます。同 サイトは、学術研究HPの総合ガイドになっていますから、ぜひ一度お試しを! 「Yahoo Japan」では「社会科学/政 治学」で注目クールサイトに登録され、特別室「テル コ・ビリチ探索記」が「今日のオススメ」に、「IMAGINE! イマジン」が「今週のオススメ」に入りました。「LYCOS JAPAN」では「政治 学・政治思想」のベストサイトにされていましたが、いつのまにか検索サイトごと「Infoseek」に買収され、「学び・政治思想 」でオススメ・マークを頂いたようです。『エコノミスト』では、 なぜか「イ ンターネットで政治学」の「プロ」にされましたが、河合塾の「研究者インフォー メーション 政治学」では「もっとも充実した政治学関係HP」、早稲田塾の「Good Professor」では、「グローバ ル・シチズンのための情報政治学を発信」という評価をいただきました。「日経新聞・I Tニュース」では「学術 サイトとしては異常な?人気サイトのひとつ」として、「リクルート進学ネッ ト」にも顔を出し、「インターネットで時空を超える大学教員」なんて紹介されました。
朝日新聞社アエラ・ムック『マスコミに 入る』で、元勤務先一橋大学の私のゼミナールが、なぜか「マスコミに強い大学 」のゼミ単位東日本代表に選ばれ「堅実・純粋な感 性」を養う「社会への関心が高い『問題意識』の強い学生が集う」ゼミナール として紹介されました。「 ナレッジステーション 」には、「政治学 ・おすすめ本」を寄せています。早稲田大学客員教授の時に、共同通信配信全国地方紙掲載「こんにち話」で「国際歴史探偵 」と認定していただき、法政大学大原社会問題研究所で「『国際歴史探偵』の20年」を話させていただきました。
その後、中部大学「アリーナ」誌で、なぜスターリン批判に入ったかの1970年代の話とモスクワ日本人粛清に関わるアメリカ共産党日本人部の話を、その延長上で「等身大のゾルゲ事件研究」について、毎日新聞と東京新聞のインタビューに答えています。恥ずかしながら、ありがとうございました。
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